映画『私は貝になりたい』
2008.11.24 Monday
昨年10月、一通のメールが届いた…。
「突然のメール、失礼致します。」
「私は映画の撮影(美術)をしている古谷と申します。」
と言う前置きで始まるメールは以下のように展開した。
「現在、昭和20年前後の理髪店をセットとして、3軒程造らなければならず資料を探しているのですが、なかなか当時の写真など資料が見つからず苦労しております。もしも昭和15年頃から23年頃までのお写真、その他資料的なものが残っている様でしたらご協力いただけないでしょうか?」
1900年(明治33年)、理容院として創業した当サロンの事を
ホームページで知りメールを送られたようだ。
現在の全国理容組合(全理連)の資料館に問い合わせても、当時の写真などは
資料館にはなく、演出部・美術部で図書館やらインターネットで古そうなお店を
見つけては訪ねるが、思う結果が出せずに困っているとのこと。
早速、昔の写真帳や資料、古書などを引っ張り出し使えそうな写真など
数点をメールで送った。
その後、古谷さんから突っ込んだ質問が届く。
当時の給湯設備は…?
営業許可書はあったのか…?
戦禍での金属供出、物資の不足は…?
四季を通して何か店内の変化はありますか…?
などなど10通以上のメールをやりとり。
そしてセットが完成した映画の題名は『私は貝になりたい』。

1958年(テレビドラマ)・1959年(映画)にフランキー堺主演で公開され大ヒット。
今回は、中居正広・仲間由紀恵主演でのリメイク。
高知県の漁港町で理髪店を営む主人公・清水豊松に召集令状が届く。
戦場で過酷な命令を受けるなか終戦を迎える。
親子水入らずの生活に戻ったが、BC戦犯として裁判にかけられ
「自分は無実だ」と主張するも死刑判決が下される…。
今日、この映画を見てきました。
戦争は終わってからも戦争。
涙モノです。
映画が終わりエンドロールが流れ余韻に浸っていると
“美術協力”の欄に当サロンのロゴが流れてきた。

古谷さんはじめ制作の方々のご厚意。
少しは映画制作のお手伝いが出来たようだ。
是非、映画館でご覧あれ。
「突然のメール、失礼致します。」
「私は映画の撮影(美術)をしている古谷と申します。」
と言う前置きで始まるメールは以下のように展開した。
「現在、昭和20年前後の理髪店をセットとして、3軒程造らなければならず資料を探しているのですが、なかなか当時の写真など資料が見つからず苦労しております。もしも昭和15年頃から23年頃までのお写真、その他資料的なものが残っている様でしたらご協力いただけないでしょうか?」
1900年(明治33年)、理容院として創業した当サロンの事を
ホームページで知りメールを送られたようだ。
現在の全国理容組合(全理連)の資料館に問い合わせても、当時の写真などは
資料館にはなく、演出部・美術部で図書館やらインターネットで古そうなお店を
見つけては訪ねるが、思う結果が出せずに困っているとのこと。
早速、昔の写真帳や資料、古書などを引っ張り出し使えそうな写真など
数点をメールで送った。
その後、古谷さんから突っ込んだ質問が届く。
当時の給湯設備は…?
営業許可書はあったのか…?
戦禍での金属供出、物資の不足は…?
四季を通して何か店内の変化はありますか…?
などなど10通以上のメールをやりとり。
そしてセットが完成した映画の題名は『私は貝になりたい』。

1958年(テレビドラマ)・1959年(映画)にフランキー堺主演で公開され大ヒット。
今回は、中居正広・仲間由紀恵主演でのリメイク。
高知県の漁港町で理髪店を営む主人公・清水豊松に召集令状が届く。
戦場で過酷な命令を受けるなか終戦を迎える。
親子水入らずの生活に戻ったが、BC戦犯として裁判にかけられ
「自分は無実だ」と主張するも死刑判決が下される…。
今日、この映画を見てきました。
戦争は終わってからも戦争。
涙モノです。
映画が終わりエンドロールが流れ余韻に浸っていると
“美術協力”の欄に当サロンのロゴが流れてきた。

古谷さんはじめ制作の方々のご厚意。
少しは映画制作のお手伝いが出来たようだ。
是非、映画館でご覧あれ。
実はこの映画に出てくる断崖絶壁の場所は「摩天崖」と言いまして、僕の田舎の隠岐・西ノ島町の自慢の場所です。
ここから見る海に沈む夕日は最高で、若い頃はこの場所で女の子を口説くのが常でした(笑)
機会があればぜひ奥様とご一緒に行ってみて下さい。