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彩雲
2015.09.04 Friday

当初、冷夏の予想が出されていた
2015年の夏。
猛暑日の続く夏となった。
その夏の終わりにおチビと一緒に
プールへ出かけた。
一日中、水とたわむれ…。
はしゃぎまわり…。
おもいっきり遊んだ。
帰り道、
疲れて眠ってしまった
おチビを抱きかかえ
夕刻の道を歩く。
なにげに空を見上げると
雲が虹色に輝いてる。
太陽の近くを通りかかった雲が
虹色に色づく「彩雲(さいうん)」。
昔から、彩雲が現れると
ステキなことが起こると言われている。
小さな小さな彩雲。
少し重くなったおチビが
心地よさそうに
腕の中で眠っている…今。
きっと、これがステキなこと。
小さなステキを抱きしめて、
彩雲に向かって歩いて行く。
2015・夏の終わりの小さな想い出。

#彩雲 #瑞雲 #慶雲 #紫雲 #景雲

戦後70年
2015.08.15 Saturday

1945年8月15日。
日本は第二次世界大戦を終えた。
きっと暑い一日だっただろう。
それから70年、
日本は一度も戦争をしていない。
今日も当たり前のような
お盆の一日。
我が家にも仏壇がある。
私が子供の頃、
ご先祖さんの家と祖母に教えられ
頂き物は必ず仏壇に供えられた。
そして今は…
4歳と2歳のおチビが
お土産を頂くと、
必ず仏壇に供える。
そして小さな手を合わせた後
「コレ食べてイィ?」と尋ねる。
いつの間にか自然と
仏壇に供えなければならないと
認識しているようだ。
「イィよ」と言われ
嬉しそうな顔になる。
そんな日常がこれからも
続きますように。

吉野太夫
2015.04.21 Tuesday

休みのたび…雨。
今年の春は桜が遠かった。
造幣局の通り抜けも終わり
桜を求め京都洛北は
常照寺へと向かった。
木々の奥に朱塗りの山門が見える。
近づいてみると「吉野門」と
記されている。

寛永の頃、京都は六条三筋町の廊に
天下の名妓として一世を風靡した
二代目・吉野太夫がいた。
芸事は勿論、美しさは
唐の国にまで知れたほどの
才色兼備な女性だったという。
その太夫が自ら巨財を投じて
寄進したのがこの「吉野門」。
門をくぐると一面
桜のじゅうたんが目に入る。

桜の花びらを進むと「常照寺」が現れた。
歴史の香りを感じながら境内を散策。
峠は過ぎたもののあちらこちらに
残り桜が楽しめる。
まるで太夫の
心遣いでもあるかのように…。
満開の桜と違い
一輪一輪に美しさを感じる。

最後に太夫の墓に手を合わせ
常照寺をあとにした。

#常照寺 #京都洛北 #吉野太夫 #桜




 

あれから20年
2015.01.17 Saturday

1995年1月17日(火)。
その日は定休日だった。
早朝、5時46分…
少し揺れたかと思うと
今まで経験したことのない
強烈な縦揺れ。
体勢を維持することすら困難な状態。
ゴー…ギシギシ…ギギギィ…
妙な音が地中から聞こえてくる。
何とか立ち上がりドアを開け
状況を確認した。
「地震」なのか?
これが阪神淡路大震災だった。
時間を追うごとに悲惨な現状が
飛び込んでくる。
灘区・東灘区は甚大な被害が出た。
そこには仲の良い連中が住んでいた。
一夜明け、バイクに食料や水
救援物資を積めるだけ積んで
国道2号線を神戸へと走った。
2号線沿いはまるで戦火で
壊滅状態になった街のよう。
あちこちから炎や煙が上がっている。
「助けて下さい」と叫ぶ人や、
何かを探しているのか懸命に
瓦礫を掘り起こす人たち。
ところどころ寸断された国道。
今もまぶたの裏に焼き付いている。
一日がかりで仲の良い連中の無事と
悔しい事実を知ることとなった。
あれから20年…。
2011年3月11日(金)14時46分。
今度は東北をとてつもない地震が襲った。
生きている間に2度も巨大地震の前で
無力さを知らされるとは思わなかった。
3度目を経験せずにすむことを
ただただ願い…合掌。

#阪神淡路大震災 #20年 #地震 #縦揺れ

正月休み
2015.01.05 Monday

子供の頃、正月と言えば
街全体が休みでひっそりしていた。
子供達は車の少なくなった街頭で
凧上げやこコマ回し、
竹馬に羽子板と遊び放題。
綺麗な晴れ着やよそいきの服を着た
家族連れが初詣に出かけて行く。
いつもの雑音もなく年始の挨拶と
子供たちの声だけが響いている。
小さいながらに新しい年が
始まったんだと身体で感じた。
正月は静かに祝ったモノだった。
しかし、最近はコンビニやマーケット、
百貨店にレストランも元日から
営業している。
便利には違いないだろうが
同時に、情緒や季節感
正月らしさや祭ごとの緊張感まで
無くなってしまった。
日本人が大切にしてきた
自然と密着した営みが
薄れていることになる。
そんな中、元日に野暮用で
自転車を走らせていると
国道沿いの業務スーパーに
「4日まで正月休み」と貼り紙。
イイネェと思ったのは
私だけだろうか?

#正月 #元旦 #子供 #業務スーパー #晴れ着

たんたたんちた
2014.12.25 Thursday

「たんたたんちた!」
2歳になったおチビが
興奮気味に大きな声で叫ぶ。
翻訳すると…
「サンタさん来た!」
自分にもプレゼントが
届いたという報告。
私が子供の頃、
家から少し離れたところに
大きな工場があった。
2階建ての工場は横に長く、
大きな屋根の下に
窓がいくつも並んでいた。
夜遅くなると
窓からは明かりがもれ
眠らず作業をしている。
ナゼか、子供の私は
中にサンタと妖精がいて
クリスマスの準備をしていると
思い込んでいた。
上着を脱ぎ汗をかき、
世界中の子供達の
名簿を確認しながら
プレゼントを仕分ける。
片隅では赤鼻のトナカイ
ルドルフがエサを食べ
出番を待っている。
そんな光景がハッキリと見えた。
工場の前を通るたび
良い子でいようと思ったモノだ。
今ではその工場もなくなり
マンションが建っている。
2歳のおチビにも
サンタの居場所を
作ってやりたいモノだ。

嬉しい再会
2014.08.31 Sunday

突然の来日。
第一声が「元気ぃ」
そしてハグ。
その昔、大阪の下町と言われる
我が家のご近所に暮らしていた
中国からの留学生…羅さん。
10数年ぶりの再会。
「当時は本当に生活が大変で
皆さんに助けてもらった」
と今も言う。
同伴の綺麗な女性は、
羅さんの四番目の子供さん。


中国は一人っ子政策がひかれ、
一度は八ヶ月で無理矢理中絶…。
二人目以降は、厳しい監視の
目を逃れ日本で出産。
なんの不正もないのに
不法滞在容疑をかけられ
大変な目にも遭った。
「あの時の皆さんの署名運動
とても助かった」と思い出話も…。
中国に帰国後は日本企業に務め、
定年後は中国の大学で
日本語と本当の日本人の
コトを教えたり、
十冊もの書籍の翻訳も担当。
今も変わらず
日本を愛してくれている。
四女の名は、
眞和里(わまり)ちゃん。
和は大和=日本の意味らしく、
「真の故郷は日本にあり」と
名付けたそうだ。
国同士も仲良くなれば
良いのだけれど。
とりあえず会えて良かった。

大阪とクマゼミ
2014.08.14 Thursday

子供の頃の夏休み。
窓から射し込む夏の朝陽と
セミの大合唱で目が覚める。
首から虫かごをぶら下げ
木に登り蝉を見つけては
素手で捕まえる。
友達と競っての蝉とり…。
「ジリジリジリシリ」は
アブラゼミ。
「シャシャシャシャシャ」は
クマゼミ。
「ミーンミンミンミーン」は
ミンミンゼミ。
「ツクツクボーシ」は
ツクツクボウシ。
「カナカナカナカナ」は
ヒグラシ。
他にもニイニイゼミや
チッチゼミ…。
最近、大阪の市街地では
クマゼミの声しか聞こえない。
どうやらヒートアイランド現象で
土が硬く乾燥しクマゼミ以外の
幼虫たちが土に潜れないらしい。
緑か多く土の柔らかい
万博公園など山手に行くと
アブラゼミが優勢になる。
これも、人間の責任。
夕方、ヒグラシの声を聴いて
家に帰っていたコトが懐かしい。

海とユリ
2014.06.03 Tuesday

夏日が続く大阪。
大阪湾を臨む舞洲に
200万輪のユリ。
大阪舞洲ゆり園に出かけた。
水面(みなも)を輝かせる
初夏の太陽光線。
潮の香りを海風がはこぶ。
はるか対岸には神戸の街が
ぼんやり見える。
そんなロケーションに
早咲きのユリが
誇らしげに大輪をつける。

この広大な場所に育つ
ユリすべてに花がつくと
想像を遙かに超えるのだろう。
その頃、もう一度来よう。
そう思いながら…。
西に傾く陽に
ユリたちが映えていた。


 

4月29日
2014.04.29 Tuesday

4月29日は「昭和の日」。
激動の昭和を生きてこられ
丸メガネがステキだった
昭和天皇の誕生日が4月29日。

その昭和天皇が、
1989年(昭和64年)1月7日に崩御。
その時、アメリカは
ロサンジェルスに住む友人の
古いアパートに居候していた。
ろくに、テレビも見ず
ダウンタウンや
大好きな
メルローズ・アベニューに
ベニスビーチで過ごしていた。
1月10日だっただろうか、
たまたま目にしたテレビニュース。
歌手・マドンナの離婚報道後、
見覚えのある町並みが
映し出されている。
しかも、何となく沈んだ雰囲気。
「なんだこれ?」と思いながら
見ていると
“…Majesty the Emperor
passes away…”とアナウンス。
「えっ、天皇が?」
その時、初めて知った事実。
そして、故小渕氏が発表した
新年号「平成」の場面。

アメリカにいて実感がなく、
未だに昭和と平成の境目が
体感できていない。
昭和に出国し
平成に帰国したためなのか
昭和は何年で終わったか?
理解できていない自分がいる。
 

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